インフォームドコンセントの持つ意味
私たちは、カウンセリング開始前に、必ずインフォームドコンセントを行っています。
目的は、
①クライエント様の望みを確認します。
②カウンセリングで可能なことをお伝えします。
医療の場で行われていることと、同様なのですが、クライエント様の知る権利、そして自己決定権を尊重することになると考えています。
①によって、どんなことを望んでいるかをお互いに共有できます。
言葉をやり取りすることによって、クライエント様にもカウンセラーがきっちりと受け止めましたよという安心感を持っていただけます。
②を行うことで、心理カウンセリングそのものを理解していただけるものと思っています。
例えば、”悩みを解決してくれるところ”と考えて、申し込まれた方には、ご自分で気づいていくのがカウンセリングですときっぱり申し上げます。
アドバイスが欲しいという方には、ご自分の心にじっくり向き合っていけば、そこにあなたが求める答えが必ずありますとお答えします。
この時に、私は、今悩んでいるのが結果としたら、「それを作り出している原因はあなたの心の中にありますよ。」とはっきりと申し上げます。
世の中は、原因→結果で成り立っています。
心の学びでいえば、その間に、思考(T)・感情(E)・行動(A)が働いています。
「それを、ご自身の心で検証し、心についての正しい理解をしていくのがカウンセリングです。」と端的に申し上げます。
このようにして、カウンセリングを行う心構えを作っていただいています。
カウンセリングマインドとして必ずお伝えすること
しかし、カウンセリングは、指示的に行ったり、高圧的に行ったりするものではありません。
クライエント様と同じ目線で、人として敬意を持って向き合わなければなりません。
そこで、私が、もう一つ、必ず付け加えてお伝えすることがあるんです。
それは、
「私は、あなたのお話を評価することなしに、お聞きします。良いとか悪いとか、価値があるとか無いとかのジャッジをしないということです。あなたの感情を、ありのままに無条件で受容いたします。どうぞ、ご安心ください。」
というものです。
これにより、たいていのクライエント様は、初回から、ご自分の感情を解放されて、話し始めます。
怒り出したり、泣き出したり・・・、感情がビンビンと伝わってきます。
感情は、遠い過去の記憶と抱き合わせで存在しています。
その感情を全面的に肯定し、受容しながら、脳では悩みにつながっている大元の部分を探っていきます。
これにより、クライエント様の自己受容レベルがたったの60分で一気に上がります。
自分の心を通しての認識の深さが問われる
駆け出しの名ばかりのカウンセラーだったころ、受容はしていても、その後の展開がうやむやになってしまうことがたびたびありました。
不登校で教室に入ることのできない生徒
我が子の就学指導でご相談に見えた保護者
学級経営がうまくいかない先生
何かうまいことを言わなければという焦りにも似た感情がよく湧き上がってきました。
周りへの対処法を一緒に考えるということにも限界を感じていました。
今思えば、それは、まさに単に心をわかってあげる程度の相談員としてのレベルに他ならなかったのです。
私は、自分の資格を語る以前の問題として、心理学を自分自身に応用できているか、自分の心のはたらきをきちんと説明できるのかを自分への課題として、突きつけました。
数年間、そんなことばかり考えながら、生活していくうちに、これまで説明がつきにくかった心の仕組みが自分の心を通して、次第に分かるようになっていきました。
「そうか、わかったぞ。」
「なるほど、こうつながっているのか。」
それは、長いこといじくっていた知恵の輪が解けたような心境でした。
プロを名乗るカウンセラーなら、当然持っていなければならないこと。
・感情と思考の関係性
・決められた行動パターンを生み出す原因
・人の認知の在り方
・心のブロックのはたらき
・潜在意識と自動思考
・インナーチャイルド
こういったものが、自分の中にも歴然と存在し、それがどのようにはたらいて、思考や行動につながっているのかが、自分の心を通して見えるようになりました。
私は、カウンセラーたちに、こう、話しています。
「自分の心で説明できれば、クライエントの心がまるごとわかるようになります。」
心理学を知識としてわかっていることよりも、どんな技法を使えるかということよりも、実感としてわかっていることが何よりも大事なのです。
それが、生きてはたらく、活用できる心理学というものです。
自分の中にあったもう一つの決めごと
以前、こんなことがありました。
私が教育アドバイザーとして、カンボジアの教員養成大学に勤務していた時に、もう一人他県から来ていた支援員の方がいました。
その方は、自分のやっていることを、さも自分だけの手柄のように話す方でした。
彼の報告を聞くたびに、
「自分一人だけで、やっているつもりか。」
「なんて自己中心的な言い方なんだ。」
と私の心の中にもやもやした感情が湧きあがってきました。
例のごとく、私の心へのリサーチが始まりました。
「このもやっとした感情をたっぷり感じてみよう。」
「キーポイントは、嫌悪感かな。」
「なぜ、そう感じるんだろう。」
答えは、意外に早く見つかりました。
自分の手柄話をしていることや自己顕示欲の強さへの許せなさにありました。
それは、とりもなおさず、長年、自分自身が心の中で封印してきたものであったからでした。
自分が我慢しているのに、なんだあのものの言い方は、という感情から来るものです。
私は、さらに、なぜ自分はそれを封印してきたのかとじっくり考えました。
そしたら、わかったんです。
「人に自慢をしてはいけない。」
という自らの決めごとでした。
思い起こせば、幼少のころ、人に自分のことを話したときに、周りがしらけてしまった経験がありました。
そこには、はっきりと悲しみの感情がありました。
「自分の心の中にあるものを話しているだけなのに、なんで聞いてくれないんだろう。」
「だれも、自分の気持ちを分かってくれない。」
というものです。
幼い自分。
言語表現も未熟な自分。
そんな自分が、我が身を守るために生み出した抑圧的な防衛機制。
きっと、周りの状況も主観でしか認知されていなくて、思い込みによるものであっただろうと推察できます。
その原型が姿かたちを変え、強固なものになって無意識の中で大きな領域を占めていることがよくわかりました。
そして、大人になっても、それに左右されていることにも気づきました。
実は、この時、もう一つ、抑圧的されていたものを感じました。
それは、彼に対する嫉妬心のような感情でした。
自分がやれないことを彼は平気でやっている。
バグを起こした感情を、たっぷりと感じたときに、初めて自分にそういう感情があったのだと気が付きました。
自己顕示欲は、自分にもあることがはっきりとわかったのです。
経験で塗り固められていく決めごと
思えば、大人になるにつれて、それは確固たるものになっていったのでしょう。まさに、心のブロックとしてはたらいていたものです。
文部省から任命を受けて、30代にドイツに赴任後、様々な経験を胸に抱えて帰国した時も、自分が向こうでのことを軽々しく口に出して言わないようにしようと固く誓ったものだし、子どもたちにも、いじめの対象になることを案じて、あまり話さない方がいいとまで諭しました。
海外に駐在員としてヨーロッパに赴任することは、当時は、周りの人から見ればうらやましいことに他ならなかったのです。(これも、実は自分の嫉妬心が周りに映し出されていただけのことですね。)
それを、自慢していると受け止められることが嫌だったのです。
子どもにも帰国子女だからという理由で、いじめを受けるということを怖れたのだと思います。
これまでの足取りを思い出しながら、自分の経験が、心の中でどんどんつながっていく面白さに、私はカウンセラーとして、ワクワクしました。
そう、このことによって、私は、生きづらさを感じていたのです。
「本当の心を開けない辛さ」
そして、私のモヤモヤした怒りの感情の大元は、悲しみであったんだと・・・。
でも、それは、自分の心が作り出していたものだったのです。
まさに、自作自演。
もう一人の支援員の方の行為は、私の心を映し出している媒体に過ぎないということもよくわかりました。
自分にも、自己顕示欲があるし、嫉妬心もある。
結局は、自分で持っているものを抑圧していたものが、周りに投影されて、感情が湧き上がっていただけということです。
それなら、おもいっきり、これまで否定的に見ていた自分の感情をすべて認めてしまおうと決意しました。
その時には、彼に対してのモヤモヤ感というものは一切消えていました。
マイナス感情が外れたイメージ
プラスの感情は、マイナス感情の対極にあります。
「心のブロックが解放された自分、決めごとを外した自分」
新しいセルフイメージの構築は、その心のステージでこそ実現できます。
わたしは、自分の悲しみを十分に受け止めつつ、心のブロックが外れた自分を、イメージしてみました。
「何でも、思うとおりに話してみたらどうなるかな。」
「思うことを、どんどん発信してみよう。」
幼かった自分は、うまく自分のことを伝えられなかったかもしれません。
でも、大人になった今では、語彙能力も備わっているし、適切な表現方法で、考えを話すことができます。
そんなことを意識をしたら、これまで遠慮がちに話していた自分の活動も、自分がやったことだと抵抗なく報告会で伝えることができました。
そのときに、はっきりとわかったのです。
そういうことが気にならない自分でいることの方が何倍も生きやすい。
単に、自分のことを自分で話しているだけであるということを・・・・。
周りがどう感じようと、どう思おうと、それは周りに委ねるものであると。
自分が抱える必要のない周りからの評価を手放した瞬間でした。
そんなことをずっと抱えていた自分が、ばからしくさえ思えました。
本当の心に素直に向き合ったとき
そして、ここで、また一つ気づいたことがあったんです。
自分のことを人に伝える爽快さを。
理解してもらえるありがたさを。
結局、相手のすることを自分の手柄のように話していると思ったのは、私がそれを封じていたことから湧き上がるねじ曲がった感情であり、その感情に許しを与えたときに、周りへの寛大さも拡大し、もやもやした感情が溶けてなくなったのです。
価値が高いも低いもない、かっこいいも悪いもない、ありのままを表現できる自分でいよう。
これを自分の心で理解した後は、人を評価する自分が影を潜めるようになりました。
感情のバグを起こすことも、なくなりました。
まさしく、自己受容が進んだからでしょう。
自己受容レベル = 他者受容レベル
は、自分の心でも立証されました。
また、私が彼の振る舞いに対してもやもやしたのは、紛れもなく私が彼を評価したからであり、周りを気にして怖れる自分とセットで存在していたということです。
「評価している自分が、評価を怖れる自分を作り出している。」
という心の公式も、このような経験の積み上げから実感として導き出されたものです。
*評価とは、周りを自分の内に取り込むことを意味します。
カウンセラーとして確信していること
私は、様々な国の人と出会い、お付き合いもし、その心に深く接してきました。
私の親友はドイツ人です。
当時、ベッカーやグラフが活躍していて人気のあったテニスのブンデスリーグの下部リーグで、彼とはダブルスを組んでいました。
とかく、ヨーロッパでは低く見られがちなアジア人の私に対して、彼は心の壁を作ることなく、本音で接してくれました。
かれこれ、20年来の付き合いになります。
ネット環境のおかげで、私たちは今でも毎週のようにスカイプで話をしています。
もちろん、仲がいいばかりではなく、けんかもするし、機嫌の悪い時もあります。
でも、彼は私の心の動きが読めるし、私も彼の心がよく見えます。
確信を持って言えます。
心に国境はありません。
どんな人種でも、アジアであろうと、ヨーロッパであろうと、アフリカであろうと、心の在り方は皆同じだということ。
これが、普遍的真理です。
心に悩みが生じることも、心の仕組みもはたらき方も、全世界の人々に共通です。
カウンセラーの皆さんには、一つ一つの経験をとおして、感情が湧きあがったら、それをモニタリングしつつ、自分の心で検証していくことをお伝えしています。
・どんなことに対して、どのような感情が湧きあがったか。
・その感情を肯定しながらじっくり感じてみる。
・それは、自分のどんな決めごとからくるものなのか。
・決めごとが、出来上がるまでの経験
・決めごとによる生きづらさ
そして、心のブロックを感じたら、心理学を学んでいるカウンセラーのあなたなら、ご自分の手で解放できるはずです。
それが、カウンセラーとしての力量を高める最短の方法です。
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