心について正しく理解し活用できるサイト

うつ病寛解への3本柱

中嶋カウンセラー

こんにちは。
カウンセラー中嶋です。

今回のコラムは相当長いですので、あしからず。。。

先日、私の友人が、そのまた友人さんを連れて訪ねてきてくれました。

友人の友人さんとは、私は初対面でした。

私がカウンセラーをしている事と、うつ病を患った事のある当事者と言うことで、話を聞きたいと訪ねてきてくれたんです。

その友人さんは、今、まさにうつ病の苦しみの渦中にいる状況でした。

私は、友人さんの手をさすりながら、お話を伺い、

「わかります。」

と、同じように苦しんだ自分の経験もお伝えしました。

友人さんは、涙しながら、少し気持ちが落ち着いた表情をして帰られました。

友人さんの事は詳しく書けませんが、

「私の事は書けるな。」

と思いましたので、

今回のコラムは、私がうつ病を患っていた時の話と、そんな私の助けになった

”うつ病寛解への3本柱”

について書かせて頂こうと思います。

今、うつ病で辛い思いをされている方の目にとまり、

「この苦しさを味わっているのは自分一人ではない。」

「この苦しみから抜け出すことは、不可能ではないんだ。」

と、私の話を拾って頂ければ幸いです。

先にも述べましたが、本当に長いです。

ご了承下さい。。。

また、内容の何かしらで気分を害される方もおられるかもしれませんが、併せてご了承下さい。。。

それでは早速、本題に入りましょう。

私は10年ほど前に、うつ病になりました。

引き金となったことなどは長くなるので割愛します。

うつ病になっていくまでには、段階がありました。

最初は、買い物の後、お財布をどこかに忘れてきたり、頭が回らず食事を作る段取りができなくなっていったり、注意力が欠けていきました。

次に、
テレビや本を見ても、全く頭に入らず、好きだったことや、趣味などへの意欲が著しく減退していきました。

「おかしいな。」

と、自分でも思いましたが、その時は、まさか自分がうつ病になるなんて考えてもいませんでしたので、何も対処せず、そのままの状態で過ごしていました。

次に出た症状は、

”現実ではない強迫観念に襲われる。”

私の場合、
”恐ろしいほど髪が抜ける”

”このままでは、禿げてしまう”

と言ったものでした。

この症状は人によって様々で、ある人は、顔にできたニキビに怯え、いつか体中を覆い尽くすとの脅迫観念がでた人もいるそうです。

私の場合、抜け毛に対しての異常な執着、脅迫がありました。

一日に何度も鏡を見て、恐る恐るブラッシングをして、抜けた髪に恐怖を感じたり、洗髪をするとき、排水溝にネットをかけて、抜けた本数を数えて震え上がったり。

人間は一日に100本近く自然に髪の毛が抜けるそうですが、とにかくそんなことは信じられず、来る日も来る日も髪が抜ける恐怖に襲われました。

同じ頃、睡眠に異常が現れました。

うつ病での睡眠障害は、

”不眠型” と ”過眠型”

がありますが、
私は過眠型で、とにかくすぐに疲れて眠くなり、体が鉛のように重く、布団から出られませんでした。

そして、日内変動。
朝が近づくと動悸や手足のしびれ、冷や汗をかくようになり、

「また一日が始まる。」

という、恐怖心に襲われました。

そうすると過呼吸を起こし、

「死んでしまうのではないか。」

と思うほどの苦しさでパニックになりました。

そして、夕方になってくると、

「やっと、今日が終わる。」

と安堵して、少し動き出せるのでした。

でも、
そんな毎日を繰り返していたので、どんどん神経がすり減っていきました。

思うように体も心も稼働してくれなくなり、

そのうち、車の運転や外出もできなくなっていきました。

そして、うつ病で一番怖い、希死念慮の症状が出始めました。

「みんなのお荷物になる」

「みんなに迷惑がかかる」

「私の存在が、みんなの負担になる」

最後には、

「こんな私は生きていてはならない」

と思い込むようになりました。

そうなると恐ろしい事に
実際に行動に移してしまうのです。

家族の目を盗んでは、ベルトや靴ひもをドアノブやクローゼットに掛けて、
本当に首を吊ってしまったり。

そのたび、苦しさと死ぬ恐怖に負けて、ベルトを外しては、死にきれない情けない自分に声を上げて泣きわめきました。

”私がいつ死のうとするか分からない。”

その心配で、家族は毎日毎日、気を張って、疲弊していました。

そうさせてしまっている自分をまた責めて、頑張れなくて、また希死念慮に襲われ、自死をしようとする。

そんな日々がありました。

当時の私は、完全に壊れていたのです。

約10年前、
これほど重いうつ病を患っていた私が、
今では普通の暮らしを送れ仕事もプライベートも、
それなりに人並みに、
本来の私らしく過ごす事ができているのは、

”寛解への3本柱”

があったからだと思います。

それは、

①”信頼できる主治医と薬”

②”寄り添ってくれる周りのサポート”

③”自分自身の努力”

です。

この、

”うつ病寛解への3本柱”

は、私の今を作ってくれたと心から思います。

これは、
あくまで私の場合です。

うつ病を患われている、どんな方にも必ず当てはまるとは言いきれません。

でも。
少なからず参考にはなるかと思います。

その頃のことを詳しく書いていきたいと思います。

まず。。。

①”信頼できる主治医と薬”

私は、この先生に出会うまで、3つの病院にかかりました。

ボロボロになった体と心を引きずって、とにかく藁をも掴む思いで先生方に助けを求めました。

出会った3人の先生は、
うつ病を始め、精神の病に苦しむ患者さん相手の毎日に慣れしまっていたのか、
もしくは、上手く距離を取っていたのかわかりませんが、
あまりにも、あっさりと流れ作業のような診察をして下さいました。

そして、
現在は精神を壊す人が多い事もあり、病院に通う患者さんも少なくありません。

なので、
仕方がない事かもしれませんが、1人に5分そこそこの時間しか取ってもらえませんでした。

話したいこと、聞きたいことも満足に聞けず、

「とりあえずお薬を出しましょう。」

といった感じの診察でした。

その当時、
1度だけ臨床心理士さんによるカウンセリングを受けた事があります。

そのカウンセラーさんも、3人の先生方と同じような淡々としたカウンセリングで
結局、お世話になったのはその1度きりでした。

転々と病院を変え、最後にたどり着いたのが、信頼できるその先生がいた病院でした。

この先生(中年の優しいおじさん)は、
何人ものうつ病の患者さんや、精神病患者さんを看てきただろうに、しっかりと向き合って話を聞いて下さり、診察時間も長い時間をかけてくれました。

なので、どなたにも同じくらい時間をかけて下さっていた分、
予約をしていてもずいぶん長く待たされる事はありました。

でも、それ以上にみんな先生を頼りに訪れるので、いつも待合室はいっぱいでした。

私の心の状態や生活状態をしっかり聞いて下さった上で薬を処方して下さったのですが、
毎回メモ用紙に説明書きをしてくれたり、心の状態を文字や図、イラストで書きながら、丁寧に説明して下さいました。

そしていつも

「絶対よくなりますから。」

「自分を傷つけるようなことはしないと、それだけは約束して下さい。」

と。

著しく希死念慮が出ているときは

「良くなるまでの時間を、僕に下さい。」

「必ず良くなりますから。」

と言葉をかけて下さいました。

そして自分を責めている私に、

「あなたが悪い訳ではないんです。うつ病が、そんな風にさせているだけなんです。」

と言葉をかけて下さいました。

私にとって、これが一番、救われた言葉でした。

そして、薬について。

一般的には、

「精神疾患の場合、1度薬を飲み出すと増えていく一方で、いずれ薬漬けになるのではないか。」

という抵抗、懸念があると思います。

しかし私は、薬にも大変助けられたと思います。

主治医の先生を信じ、先生もまた、私に合った薬を見立ててくれました。

積み重なった苦しさや、ストレス、ショックにより、脳の伝達物質(セロトニンなど。)の減退が、うつ病を引き起こすとされているなかで、
その不足を補う為の薬は必要なものだと、先生は説明して下さいました。

よく先生が話して下さったのは、

「例えば、糖尿病や高血圧とか、長く付き合う体の病気への薬は、誰も偏見なく、抵抗なく、当たり前のように、服薬されているね。

でも精神の薬は、なんだか怖いものとして捉えられてたりするね。

どっちにしても、副作用は少なからず、あるんだよ。

例えば、鎮痛剤や風邪薬でさえ、眠気と言う副作用があるんだもん。

精神と言っても、結局は脳、体の一部なのだから同じなんだよ。

精神医療も、ほかの医療と同じようにちゃんと進んでいるのにね。」

「貧血の人は、鉄剤を服用する。

”サプリメント”
とまでは言わないけど、
不足を補うと言った意味では、そんなに大差ないのにね。

脳の伝達物質が不足している人は、それを補う薬を服用する。

要は同じなんだよ。」

この説明を聞いて素直に納得できた私は、
先生が決めた時間や用量を守って服薬を続け、
状態に合わせて少しの増薬、少しの減薬の調整をして頂きながら、次第に状態は落ち着いていきました。

その状態が安定したら、決められた用量を更に少しずつ減薬して下さり、やがて服薬は終わりになりました。

でも、
私は再発防止のために、お守りだと思ってごく少量のお薬を頂いています。

乳がんにもなった私が現在、再発防止のためにホルモン療法のお薬を服用するのと同じ事だと思っているので、抵抗はありません。

乳がんでお世話になっている主治医も、
うつ病再発防止のためのお薬を併用している事は、何の問題もないと話して下さったので。

私にとっては、どちらの病気も再発することが怖いですから。

精神の薬を推奨する訳ではありませんが、
この経験から、内科などで処方されるお薬と、精神科で処方されるお薬も同じ事だと思っています。

そして、

②”寄り添ってくれる周りのサポート”

とりとめもないマイナスな言葉や感情を吐き出す私に、自暴自棄になっている私に、

「今はこうだから、仕方ないよ。」

「焦らないなくてもいいんだよ。」

「今は、休む事が仕事。」

時には怒られる事もありましたが、

家族や友人は寄り添い続けてくれました。

私が、ただただ泣く事しかできない時には、何の言葉もかけず、ただただ側にいてくれました。

これらの言葉、対応は、
サポートする側の常套句のように本なのでも記載されていますが、ほんとに大切な言葉、向き合い方だと思います。

「みんなのお荷物になる」

「こんな私は生きていてはならない。」

そう頑なに思い込んでいた私は、
次第に、

「私が死んだら、この人達をどれだけ悲しませるか。」

「この人達の為にも良くなりたい。」

「まだ、やりたい事、やらなければならない事がたくさんある。」

「今だけが全てじゃない。」

と心から思えるようになり、そう思えるようになると、意欲が湧いてきました。

最後に、

③”自分自身の努力”

これは、

「頑張る」

という事ではありません。

うつ病で苦しんでいる人たちは、この苦しさに負けないようにと、十分過ぎるほど頑張っています。

ここで言う

「努力」

とは、

”自分の歪んだ思考を変える努力”

”焦燥感に駆られても、焦らないように気持ちを持っていく努力”

”自分を大切に思ってくれている人たちの言葉を素直に聞けるようにする努力”

そして、一番の努力は

”死なない努力”

です。

うつ病の怖いところは、自分を消してしまいたくなる事です。

ひどくなるほど、必ずと言っていいほど、みんなこの気持ちが湧いてきます。

ここを耐えて、思いとどまれるかどうかで、人生が大きく左右します。

左右どころか、人生自体の有無を決めます。

この

”うつ病寛解への3本柱”

のおかげて、

”わたしの今”

が、あると心から思います。

あのとき、死ななくて本当に良かった。

うつ病は、再発の可能性も考えられます。

でもそれは、癌と言う病気にだって言えること。

私だって、

「もう絶対大丈夫。」

なんて思っていません。

そうなった時、
またこの

”寛解への3本柱”

を大切にしようと思います。

最後に。

この”寛解への3本柱”

①は、専門の先生にしかできません。

③は、自分でしかできません。

②は、カウンセラーとして、うつ病を体験した当事者として、私なりに寄り添える事、サポートできる何かがあると思います。

もしも今、友人の友人さんのように、あの頃の私のように、うつ病で辛い思いをされている方がおられたら

「苦しい胸の内をお話して頂きたい。」

心からそう思っています。

コメント