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「すぎ」は苦しさの種

中嶋カウンセラー
2018年5月
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こんにちは。
カウンセラー中嶋です。

先日、学生時代からの友人と4人で食事をしました。

友人達は昔から酒豪で、ビールや焼酎、サワーなど、次から次へと胃袋に流していきました。

私は昔からお酒が得意ではないので、食べる専門。

そして、結構、大食らい。

お刺身、揚物、焼物、御飯物。
沢山お酒を呑む友人達と、割り勘しても損をしないほどの量を食べました。
昔からこんな感じで。

深夜12時を超えても宴は続きました。

さて、翌日。
胃はもたれるわ、睡眠不足で眠たいわで、一日調子が上がらず仕事をしました。

友人達もしかり。

仕事だったけど、頭は痛いわ胸焼けするわで、二日酔いのまま一日調子が上がらなかったそうです。

「もう若くないのに、呑みすぎたわ。」

「もう若くないのに、食べすぎたわ。」

「何でも”すぎ”たらあかんなぁ。」

ラインでそんなやりとりをしました。

そうなんです。
”すぎ”たら、良いことないんですね。

”程よく適度に”呑んで、
”程よく適度に”食べていれば、それほど翌日にひびかなかったでしょう。

これくらいの事なら、
笑い話で済まされます。

しかし、同じ”すぎ”でも、長期的で、慢性的な”すぎ”は笑い話では済まされません。

例えば身体的なもの。
長期的で慢性的に、食べすぎ、呑みすぎ、徹夜しすぎると、いつか糖尿病や脳梗塞などの病を引き起こしてしまうかも知れません。

例えばメンタル的なもの。
長期的で慢性的に、頑張りすぎ、真面目すぎ、考えすぎ、反省しすぎ、人の目を気にしすぎると、いつかうつ病やパニック障害などの病を引き起こしてしまうかも知れません。

これは苦しいですよね。

”頑張ること。”は素敵なことです。

”真面目なこと。”も素敵なことです。

”考えること。”は大切なことです。

”反省すること。”も大切なことです。

”人の目を気にすること”は、空気を読むのに必要なことです。

これが”程よく適度に”なら、全て、自己肯定の種になると思うんです。
あくまで”程よく適度に”なら。

これが度を超して、”すぎ”てしまうと、たちまち苦しさの種に変わってしまうと思うんです。

”頑張りすぎること。”は、疲れます。

”真面目すぎること。”は、窮屈になります。

”考えすぎること。”は、執着になります。

”反省しすぎること。”は、前に進めなくなります。

”人の目を気にしすぎること。”は自分らしく振る舞えなくなります。

同じことなのに、
”程よく適度に”
が、
”すぎ”
になるだけで、こんなにも意味が変わってしまうんです。

”程よく、適度に”なら自己肯定感の種だったはずなのに、”すぎ”てしまうだけで、たちまち苦しさの種になってしまうんです。

怖いことですよね。

でも、なかなか気づけないんです。

知らず知らずのうちに、
”すぎ”を当たり前にして生きていると。

「なんでこうなっちゃったのかな。」

うつむいたり、涙したりしながら、気づけば苦しさの種を心に植えてしまっているのです。

そして、さらにその苦しさの種は、歪んだ捉え方を咲かせてしまいます。

「こんなに頑張りすぎて疲れる自分が嫌いだ。」

「こんなに真面目すぎて窮屈な自分が嫌いだ。」

「こんなに考えすぎて執着する自分が嫌いだ。」

「こんなに反省しすぎて前に進めない自分が嫌いだ。」

「こんなに人の目を気にしすぎて自分らしく振る舞えない自分が嫌いだ。」

こうなってしまうと、”自己肯定”はおろか、全く真逆の、”自己否定”の思考に持って行かれてしまっているんです。

もったいない。
とてももったいないですよね。

もともとは、とても素晴らしい自己肯定の種だったのに。。。。

でも、大丈夫です。

すぐには難しいかも知れませんが、少しづつ、少しづつ、この苦しさの種である、”すぎ”を掘り起こせばいいんです。

次はこうです。

自己肯定の種のもと。
”程よく、適度に”
を植え替えます。

良い自分も、残念な自分も受け入れてこそ、”自分らしさ”が咲きます。

自分だけの色で。
自分だけの模様で。

もしも、苦しさの種が自分の心に埋まってるなと感じていたら。

ゆっくりでいいんです。

苦しみの種を掘り起こして、自己肯定の種に植え替えてあげてください。

植え替え方法は、至ってシンプル。

”すぎ”な考えを、

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